Red Book – CH 9 – Romanji Furigana

第9課 因果関係を示す あいまいな境界線

■ 本文を読む前に
. スポーツ選手の科学的なトレーニングというと、どんなことがありますか。
. オリンピックの時に、「ドーピング検査」 によって、一度メダルを取った選手が失格になることがあります。ドーピングはなぜしてはいけないことなのですか。道徳や倫理の問題でし’うか。それとも、ほかに理由があるのでしょうか。

■ 本文

オリンピ,クの競技を観戦していると、さすが一流の選手だけのことはあると感心むするばかりだ。彼らがあれほどの能カを発揮できるのは素質だけでなく、日々のトレーニングの積み重ねがあるからだ。そして能カを最大限に引き出すためには科学的なトレーニングも不可欠である。だが、もしそれ以上のものを望むならどうするだろうか。ここにドーピングというわなが待ち構えている。
スポーツ選手が主に薬物使用などの不正な手段により、競技成績を上げようとする行為をドーピングという。IOC(国際オリンピック委員会)はそのような行為を一切禁止している。 スポーツである以上、フェァプレ一に反する不正な行為を許すわけにはいかない。また、薬物の使用は選手
自身の体に深刻な害をもたらすおそれもあるだけに、 医者の立場からしても、それは認められない。ドーピングは薬物だけとは限らない。近年関心なを集めている問題として「血液ドーピング」がある。血液中にある赤血球は酸素を運ぶ役割をしている。この赤血球が増えれば、それだけ酸素をより多く摂取、運搬することが可能になり、持久カがアップする。そこで、事前に一定の血液を液き取り、赤血球が不足した状態をつくり、体をそれに適応させる。そして、競技直前にその血液を自分の体に輸血して、赤血球を増やす方法が考えられた。 しかし、トレーニングによって身体能カを高めるのは良いが、元々自分の体にない物 質を取り入れることはもちろん、たとえ自分の体にあるものでも、人間の営みとして不自然な行為で安易に成果を得ることは不正な行為だと、IOCは考えた。したがって、これもドーピングであると判断された。
ところで、血液中の赤血球を増やす効果がある練習方法として「高地トレーニング」と呼ばれるものがある。レース前に数週間にわたって高地で生活しながら練習するもので、マラソン選手を中心に、世界レベルの選手の間では一般的に行われるようになった。平地で暮らす人間が酸素濃度が低い高地に行けば、体はそれに適応しようとして、赤血球を多く作る。その生理的な仕組みを利用するのである。
体のメカニズムが解明されることによって、科学的なトレーニングも進歩した。高地トレーニングはその一つである。しかし、科学的なトレーニングは、選手たちに不自然な状態を強いるという一面を持つ。わざわざ酸素が少ない環境に身を置いて赤血球を増やすことが自然な行為だとは思えない。だから、この高地トレーニングも血液ドーピングと同じだと指摘する人もいる。これがドーピングとされないのは、たとえ人間の営みとして不自然な行為であっても、少なくとも血液を出し入れするような安易な手段によるのではなく、厳しいトレーニングによるものだと判断されるからである。現に高地では酸素濃度だけでなく、気圧も低くなるため人体にかかる負担は相当なものらしい。
それでは、もしこの高地トレーニングが平地でできるとしたらどうだろう。しかも気圧は平地と同じにでき、そこで生活しながら練習できる設備があるとしたら。実はもう既にそのような設備は実現している。これを利用すればわざわざ高地に足を運ばずに、手軽に練習ができるわけだ。
この平地の「高地トレーニング」は依然としてトレーニングではあるが、不自然なことが手軽にできるとなると、血液ドーピングとどこで線を引けばいいのかという問題が出てくる。「不自然」はどこから「不正」と判断されるのか。 科学や医学が進歩した結果、トレーニングとドーピングの境界線があいまいになってきていると言えよう。


 

dai9ka 因果inga関係kankei示すshimesu あいまいな境界kyoukaisen

本文honbun読むyomumae
. スポーツ選手senshu科学kagakutekiなトレーニングというと、どんなことがありますか。
. オリンピックのtokiに、「ドーピング検査kensa」 によって、ichidoメダルを取っto選手senshu失格shikkakuになることがあります。ドーピングはなぜしてはいけないことなのですか。道徳doutoku倫理rinri問題mondaiでし’うか。それとも、ほかに理由riyuuがあるのでしょうか。

本文honbun

オリンピ,クの競技kyougi観戦kansenしていると、さすが一流ichiryuu選手senshuだけのことはあると感心kanshinむするばかりだ。kareらがあれほどのnouカを発揮hakkiできるのは素質soshitsuだけでなく、日々hibiのトレーニングの積み重ねtsumikasaneがあるからだ。そしてnouカを最大saidaigen引き出すhikidasuためには科学kagakutekiなトレーニングも不可欠fukaketsuである。だが、もしそれ以上ijouのものを望むnozomuならどうするだろうか。ここにドーピングというわなが待ち構えmachikamaeている。
スポーツ選手senshu主にomoni薬物yakubutsu使用shiyouなどの不正fusei手段shudanにより、競技kyougi成績seiseki上げようageyouとする行為kouiをドーピングという。IOC(国際kokusaiオリンピック委員iinkai)はそのような行為koui一切issai禁止kinshiしている。     スポーツである以上ijou、フェァプレichi反するhansuru不正fusei行為koui許すyurusuわけにはいかない。また、薬物yakubutsu使用shiyou選手senshu
自身jishinkarada深刻shinkokugaiをもたらすおそれもあるだけに、 医者isha立場tachibaからしても、それは認めmitomeられない。ドーピングは薬物yakubutsuだけとは限らkagiraない。近年kin’nen関心kanshinなを集めatsumeている問題mondaiとして「血液ketsuekiドーピング」がある。血液ketsuekichuuにあるaka血球kekkyuu酸素sanso運ぶhakobu役割yakuwariをしている。このaka血球kekkyuu増えれfuereば、それだけ酸素sansoをより多くooku摂取sesshu運搬unpanすることが可能kanouになり、持久jikyuuカがアップする。そこで、事前jizen一定ittei血液ketsuekieki取りtoriaka血球kekkyuu不足fusokuした状態joutaiをつくり、karadaをそれに適応tekiouさせる。そして、競技kyougi直前chokuzenにその血液ketsueki自分jibunkarada輸血yuketsuして、aka血球kekkyuu増やすfuyasu方法houhou考えkangaeられた。 しかし、トレーニングによって身体shintainouカを高めるtakameruのは良いyoiが、元々motomoto自分jibunkaradaにないmono shitsu取り入れるtoriireruことはもちろん、たとえ自分jibunkaradaにあるものでも、人間ningen営みitonamiとしてfu自然shizen行為koui安易an’i成果seika得るeruことは不正fusei行為kouiだと、IOCは考えkangaeた。したがって、これもドーピングであると判断handanされた。
ところで、血液ketsuekichuuaka血球kekkyuu増やすfuyasu効果koukaがある練習renshuu方法houhouとして「高地kouchiトレーニング」と呼ばyobaれるものがある。レースmaesuu週間shuukanにわたって高地kouchi生活seikatsuしながら練習renshuuするもので、マラソン選手senshu中心chuushinに、世界sekaiレベルの選手senshuaidaでは一般ippanteki行わokonawaれるようになった。平地heichi暮らすkurasu人間ningen酸素sanso濃度noudo低いhikui高地kouchi行けikeば、karadaはそれに適応tekiouしようとして、aka血球kekkyuu多くooku作るtsukuru。その生理seiriteki仕組みshikumi利用riyouするのである。
karadaのメカニズムが解明kaimeiされることによって、科学kagakutekiなトレーニングも進歩shinpoした。高地kouchiトレーニングはそのhitoつである。しかし、科学kagakutekiなトレーニングは、選手senshuたちにfu自然shizen状態joutai強いるshiiruという一面ichimen持つmotsu。わざわざ酸素sanso少ないsukunai環境kankyoumi置いoiseki血球kekkyuu増やすfuyasuことが自然shizen行為kouiだとは思えomoeない。だから、この高地kouchiトレーニングも血液ketsuekiドーピングと同じonajiだと指摘shitekiするhitoもいる。これがドーピングとされないのは、たとえ人間ningen営みitonamiとしてfu自然shizen行為kouiであっても、少なくsukunakuとも血液ketsueki出し入れdashiireするような安易an’i手段shudanによるのではなく、厳しいkibishiiトレーニングによるものだと判断handanされるからである。現にgen’ni高地kouchiでは酸素sanso濃度noudoだけでなく、気圧kiatsu低くhikukuなるため人体jintaiにかかる負担futan相当soutouなものらしい。
それでは、もしこの高地kouchiトレーニングが平地heichiでできるとしたらどうだろう。しかも気圧kiatsu平地heichi同じonajiにでき、そこで生活seikatsuしながら練習renshuuできる設備setsubiがあるとしたら。jitsuはもう既にsudeniそのような設備setsubi実現jitsugenしている。これを利用riyouすればわざわざ高地kouchiashi運ばhakobaずに、手軽tegaru練習renshuuができるわけだ。
この平地heichiの「高地kouchiトレーニング」は依然izenとしてトレーニングではあるが、fu自然shizenなことが手軽tegaruにできるとなると、血液ketsuekiドーピングとどこでsen引けhikeばいいのかという問題mondaideてくる。「fu自然shizen」はどこから「不正fusei」と判断handanされるのか。  科学kagaku医学igaku進歩shinpoした結果kekka、トレーニングとドーピングの境界kyoukaisenがあいまいになってきていると言えようieyou

 

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